ロシア、ウクライナ間の争い自体については
公の言及は避けたいと思いますので、
以下でご紹介することもどちらが良い悪いではなく
一つの手法として捉えていただければと思います。
時はロシア軍がウクライナに侵攻開始して間もない
2月末のこと。
キエフの北にある人口750名ほどの小さな村、
デミディフ村。
ここで、陸からじわじわと攻め寄ってくる
ロシア軍の侵攻を阻むため、
ウクライナ軍は “あること” を決行します。
その “あること” とは……
近隣の水力発電用ダムを放流して、
村に洪水を引き起こしたのです。
これにより、ロシアはこの村への進軍を
諦めざるを得ませんでした。
関連記事(クーリエジャポン)
ダムを放流して自ら洪水を起こし、ロシア軍を阻止した「ウクライナ流戦法」
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私は、このトピックを目にした時、
「あれ、確か戦国時代に日本のある所で
これと酷似したことをしていたような………」
と、ふと脳裏を過ぎるものがありました。
今から約400年前、大阪を舞台に繰り広げられた
大坂冬の陣。
ここで、大阪城を根城にする豊臣秀頼は、
迫る徳川軍の侵攻を阻み城を要塞化するため、
淀川を氾濫させて城の周りを水浸しにした、
という説が、NHKで公開されています。
関連記事(NHK「決戦シリーズ」)
リンクの記事にもあるように、
大阪の陣の全容は秀頼率いる西軍の敗北とともに
多くが失われてしまったため、
あくまでもNHKを中心とした独自の検証に
基づくものです。
とはいえ、実際に川を堰き止めたという痕跡も
残されており、あながちノンフィクションではないと
私自身はその説に信憑性を抱いています。
「水攻め」という言葉があるように、
水は時と場合によっては人の命をも脅かします。
しかし、使いたかによっては水を味方につけることも
できるわけです。
もちろん、限界はあります。
徳川軍のケースでは、さらに水の流れを変えて
大阪城の周囲を丸裸にしてしまいました。
デミディフ村だって、いつまでも
水浸しの生活を送るわけにはいきません。
ロシア軍が撤退したタイミングで
排水作業に追われました。
家財も泥まみれです。
でも、ふたつとない命は、守られた。
自分や大切な人の命の守り方。
今回は「水」を味方につける事例に触れましたが、
日頃から、何を“味方”につけられるのか
自分なりに考えておくと、
いざという時に必ずや役に立つでしょう。
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