1992年4月30日。
結婚式を無事終えた私と妻は、
とある島へと旅立った。
その島の名は、ポンペイ。
日本ではポナペという呼び名のほうが
通っているかもしれない。
当時、旅行ブームの先駆けであった
『ガリバー』という雑誌で
片岡義男がペンを執った
ショートストーリーが頭から離れず、
ハネムーンの行き先はここに、
と1年前から決めていたのだ。
厳密に言えば、島そのものよりも
そこに“あった”ホテルに
強烈な興味を覚えた、というのが正しい。
“あった”というのは、物語の中では
台風で根こそぎ吹き飛ばされてしまった、
という設定だったからである。
そのホテルの名は、ザ・ビレッジ。
その名の通り、村の集落のような
椰子葺きのコテージが立ち並ぶ、
究極のエコリゾートだ。
グアムを経由して、週に1便しかない
ハワイへのコンチネンタル便で3時間。
夜の帳が広がる島の空港に降りたち、
熱帯特有の湿った空気をかき分けて
掘っ立て小屋のようなイミグレーション
へと向かう。
乗客の約半分はローカル・ミクロネシアン。
残りは、日本やオーストラリア、
ヨーロッパからのツーリストであった。
街明かりのほとんどない空港の外で
私たちの到着を待っていたのは、
口ひげをはやした、同世代と思われる
日本人の青年で、中曽根駿と名乗った。
「シュンと呼んでください」と微笑む彼に
私たちはすぐに親近感を覚えた。
ホテルライフも、島も、
すべてが夢のように愉しかった。
到着の翌日はラグーンや遺跡をめぐる
1日ツアー。
シュノーケリングでは、
カラフルな熱帯魚にまじり、
真下をサメがゆうゆうと通り過ぎていく。
テレビでもよく取り上げられる
ナンマドール遺跡は、
まるで日本の城のような趣が印象深い。
水量豊富なケプロイの滝には
伝説の大ウナギがいるという。
このツアーで仲良くなった日本からの
1人のツーリストと、
3日目には島をレンタカーで一周。
4日目には、シュンに連れられて
島伝統の半裸の男女によるダンスと
シャカオ(麻酔作用のある植物由来の飲料)
の宴にも参加。
ラグーンに浮かぶ島やソーケーズロック
(ハワイで言えばダイヤモンドヘッドの
ような島の象徴)を眺めながらの
ガゼボでのモーニングやディナー。
吹きっさらしのバーで夜風を受けながら
いただくブラディマリーは
ソルトの代わりにポンペイ特産の
ブラックペッパーが縁を彩る。
そして、蚊帳に覆われたウォータベッド。
一見優雅そうだが、米本土から
持ち込むのに最も格安だったのだとか。
窓には、ガラスはない。
金網が張ってあるだけである。
遠くで光る雷を遮るカーテンもない。
すっかりここが、気に入った。
ゆったりとしていて、濃密な島の時間。
シュンには、本当にお世話になった。
まさか、その彼が、後のロッテの名将
ボビー・バレンタイン氏の通訳を
努めることになるとは……。
人との出会いは、本当にすばらしい。
たしか、西葛西に家族(お姉さんだったか)
が住んでいると聞いたような気がしたのだが…
ちゃんと聞いておけばよかった(ToT)